
はじめに:調達の役割は「防衛」から「戦略的インテリジェンス」へ
日本は資源小国ではありますが加工貿易と、コスト効率を最優先した「ジャスト・イン・タイム」の恩恵を享受し成長を遂げてきました。しかし、平和な時代のロジックはコロナにて清算され、今や地政学的な途絶を前提とした「ジャスト・イン・ケース」への戦術変更を余儀なくされています。
これをコストオンと一概に捉えるのは早計です。資源(原材料)確保において、規模の拡大から外部環境の変化に応じた質の向上で、強靭な事業体質の追求というモデルを成立させる戦術であり、成長神話が崩れた現在においてはグローバルの先進地域が抱える共通課題の解決方法にもなるはずです。
環境破壊や価値観の変容、長く続く不景気で世界共通ルール(国連のリーダーシップやWTOなど)にほころびが見え始め、2026年は極東の日本ですら戦時下の調達へ移行しつつあります。いずれにせよ激しい転身が求められるならば、今こそ「戦略的なサプライチェーンマネジメント(SCM)と調達」で事業継続マネジメント(BCM)を構築し、事業を高収益体質化する、そんなシナリオを作成し実現する、絶好のチャンスと言えるでしょう。SCMや調達機能の重要性が再評価され事業成長に寄与できるラストチャンスとも言えるでしょう。
本稿では、この仮説を元に、日本の製造業向けに有事を前提としたレジリエンス戦略と、それを支えるインテリジェンス体制の構築について論じます。
1. 現代の地政学リスク:多極化する脅威の地図
現在、調達を脅かすリスクは経験知や予測対応ができるものから、「誰もが未経験、複数の事象が絡み合った予測不能・防止困難なもの」へと変質しています。特に化成品を主軸とする日本の製造業において、川上(材料)のサプライチェーンは効率化を追求する中でティア構造が複雑化、戦略なきグローバル化が進み統制が効かない不透明な状態となりました。多くの産業や企業で把握しきれない目詰まりで全社の生産停止を招く「チョークポイント」を多数抱えています。まずはこのリスクを把握し自らにどのような影響があるのか整理してみます。
① 通商政策とブロック経済化
東西対立構造が複雑化してきています。いずれの大国も経済停滞が続き、ブロック経済域を整えて自エリアの利益を優先する政策を講じています。
特に米中対立を軸とした経済安全保障法制の整備(日本の経済安保推進法、米国のインフレ抑制法など)により、特定の国からの供給網が「政治的カード」として利用されるリスクが高まっています。足下の中東広域紛争もここに端を発していますし、「重要物資」に指定される化成品原料や鉱物資源において、個別輸出規制は日常的な脅威となりました。
② 地域紛争と物流航路(チョークポイント)の脆弱性
ホルムズ海峡の緊張やパナマ運河の干ばつ、あるいはスエズ運河を避ける迂回ルート(喜望峰経由)の常態化は、リードタイムの不確実性を劇的に高めて保険料も含めた物流コストの増大を招いています。
日本では今やVLCC(大型油槽船)の動静一つが、国内工場の稼働計画を左右する時代です。また、海上交通の乱れが正常化するには数カ月単位の時間を要し、一度発生すると影響は甚大です。
③ 制裁リスクと人権・環境規制
ウイグル強制労働防止法(UFLPA)や欧州のサプライチェーンデューデリジェンス指令(CSDDD)など、法規制は「調達先の背後」にある人権や環境負荷までを監視対象としています。知らぬ間に制裁対象企業と取引してしまう「セカンダリー・サンクション」のリスクは、企業の社会的信用を根底から揺るがします。
また、欧州はCBAMやEUDRなどを用いて環境規制の強化と貿易赤字の修正を同時に実施するような方法も取っており、人権侵害や環境破壊がレピュテーションリスクから直接的な経済リスクにつながるようになってきています。
2. レジリエンス戦略:有事を前提としたサプライチェーン設計
既に過去の経験則は通用せず、すべてのリスクを避けられない以上、戦略の柱は「抵抗力」ではなく「復元力(レジリエンス)」に置くべきです。
フレンドショアリング(Friend-shoring)への懐疑
複数の国や地域が経済的な結びつきを強める一方で、他のグループとの交流を制限することで自国・自地域の利益を守ろうとする戦時下のブロック経済は、国家間の対立や安全保障と密接に連動します。
これは企業間の取引でもパーパスや理念を共有するパートナーとバリューチェーンを構築し、事業の持続可能性を高める活動にも考え方として置き換えられます。また、関係性は永遠に変化しないものではありません。常にパートナーとのコミュニケーションを実施すること、また客観的でクリティカルに関係性の評価と管理はし続けなくてはいけません。
・対米関係
日本は西側諸国(欧米を中心とした資本主義・民主主義圏)の一員として唯一の同盟国であるアメリカとの関係性を常に評価する必要はあります。アメリカは自国を「特別な使命を帯びた自由の守護者」(アメリカ例外主義)とみなす強い信念と、国益優先の「ダブルスタンダード」は国際社会からの批判を招いています。日本としても関税で不利益な条件を妥結せざるを得なかったこともあり、欧州から「ストックホルム症候群」と揶揄されることもあり、日本的配慮は世界では美徳でないことも認識しておく必要があります。
・対中関係
中華人民共和国は政治的な関係性は時に不安定性があるものの、かつて政府開発援助(ODA)で1979年から42年間にわたり累計で3兆6,600億円の支援を実施し今や「世界の工場」まで成長した大国です。現在は民間ベースの経済協力を中心として関係性を築いており、多くのコモディティ製品の供給国としてなによりSCM上は決して軽視してはいけない隣人です。社会構造の違いから化成品の原料調達において、特定国への依存度を下げ、ASEANやインド、北米など、地政学的に安定した地域へのポートフォリオ転換が急務ではありますが、BCPハンドリングをしながら安定した関係性を構築することが重要です。
マルチソーシングと代替可能性の確保
シングルソースの廃止は基本です。
• スペックの共通化
万が一の際、他社製品に即座に切り替えられるよう、R&D(研究開発)段階からセカンドソースの承認を前倒しで進める必要があります。特に高機能品が使われる産業分野では量産後のダブルスペック化は長い検証とコストが必要になります。開発段階に検証するコストとは比較になりません。顧客の事業競争力の強化にもつながることを丁寧に説明し取り組むことが重要です。
• 在庫戦略の再定義
従来の低在庫管理を見直し、地政学リスクの高い品目については、戦略的な「安全在庫」の積み増しを、資本コストとのバランスを見極めながら実行します。経済安全保障推進法の補助金などを検討しながら、積極的に強みの施策として在庫積み上げを活用していくべきです。
中東広域紛争は社内に説明が受け入れられやすい外部環境の変化と捉え活用しましょう。
3. 川上(材料)サプライチェーンの透明化とインテリジェンスの重要性
地政学リスクへの対応で最も困難なのは、「見えないリスク」の把握です。単に発注先を分けるだけでは不十分です。川上(材料)サプライチェーンをどれだけ把握し、チョークポイントを明確化、できる限りのリスクヘッジを講じられるかがインシデント発生時の強靭な事業を作り上げます。
Tier Nまでの可視化
化成品の供給網は複雑怪奇です。直接の取引先(Tier 1)だけでなく、その先の原料メーカー(Tier 2)、さらにその先の粗原料や鉱山(Tier N)までを特定しなければ、本当のリスク管理は不可能です。例えば、ある中間体の生産に必要な触媒が特定の紛争地域に依存している場合、Tier 1がどれほど健全でも供給は止まります。これは実際の多くの皆様がすでに経験していることでしょうし日本有数のグローバル企業もたった一つのエンジニアリングプラスチックのパーツが用意できず工場稼働を停止した例は挙げたらきりがありません。
インテリジェンス・チェーンの構築
これからの調達部門は、単なる「購買(Purchasing)」ではなく、情報を武器にする「インテリジェンス(Intelligence)」のプロフェッショナル集団であるべきです。
AIや、専門職団体、業界団体やアカデミアを活用した情報収集と、内にこもらない情報や提言を実務家として行い行動を起こすことが存在価値の証明となります。
• 常時監視体制
AIやデータ集約ツールを活用し、世界各地のインシデント、法規制の変更、物流の停滞、サプライヤーの経営状態をリアルタイムでモニタリングすることが可能です。日本のメディア報道だけでは、情報は間違いなく足りません。海外のメディア、それからSNSの情報もフィルタリングしてタイムリーに提示してくるサービスは情報戦では欠かせないツールです。
• 情報の「解釈」能力
溢れるニュースの中から、自社の調達品目に影響を与える「真の変化」を抽出する能力です。これは単なる情報の収集ではなく、地政学的な動静を自社のビジネスコンテキストに翻訳する高度なスキルが求められます。これこそが長年最前線で戦ってきたプロフェッショナルのまだ「人」にしかできない重要な強みです。
例えば石化品を購入しているとすれば、原油・ナフサから自社の購入品までどのようなサプライチェーンになっており、どこが目詰まりすると自社の何に影響があるかを把握しているか、していないかによって初動スピードが大きく変わります。材料確保は時間勝負で、初動が結果にも大きく左右します。可能であれば川上と川下のパワーバランスまで把握できればコミュニケーションの方法まで即座に決定することができるのです。自身の知見やスキルを過小評価することなく、十分に発揮すれば事業競争力の要となることができるのです。
4. 組織の変革:ティール組織への進化と「攻め」の調達
有事において、トップダウンの意思決定を待っていては手遅れになります。現場が自律的に動き、瞬時に判断を下せる「ティール組織(Teal Organization)」的なアプローチが、SCM・調達部門には必要です。
供給パートナーとの「共創」
サプライヤーを単なる「納入業者」として扱う時代は終わりました。互いのリスクを共有し、危機を乗り越えるための戦略的重要サプライヤーとして、平時から深い信頼関係を築くことが、有事におけるモノや情報の優先供給に繋がります。
経営への戦略的提言
調達部門は、物流リスクや原材料高騰を「現場の苦労話」や「結果コスト」として報告するのではなく、企業の財務・成長戦略に与えるインパクトとして経営層に提言すべきです。「攻めの調達戦略」こそが、不確実な世界における最大の競争優位性となります。
おわりに:未来を創る調達(Purchasing Planning for the Future)
グローバル地政学リスクは、もはや一時的な嵐ではありません。私たちが直面しているのは、世界の構造そのものの変化です。
この変化を恐れるのではなく、AIやデータを駆使した「インテリジェンス・チェーン」へと自らを進化させ、ESG(環境・社会・ガバナンス)の観点からも健全なサプライチェーンを構築すること。それが、これからのSCM・調達人に課せられた使命です。
私たちは、単なる「資材の買い手」ではありません。不確実な未来を、情報と戦略で切り拓く「変革のリーダー」なのです。創刊号という新たな門出にあたり、読者の皆様と共に、次世代のサプライチェーンマネジメントの発展に、私も一人の実務家として力を尽くしていきたいと思います。
執筆者
天野 菜美
大日本印刷株式会社 購買本部 購買企画部 部長
2004年入社、調達経験22年
主な業務:全社の調達戦略、購買本部の基盤強化・調達管理、新機能設計
注力テーマ:開発購買、グローバル調達、サステナブル調達、BCM/BCP、サプライヤー人権デューデリジェンス 等
強み:調達プロフェッショナルとしての実務力、ステイクホルダーマネジメント、組織戦略
保有資格:日本能率協会(JMA) 調達プロフェッショナル認定資格(CPP) A級
外部団体:ISM Japan SCMエグゼクティブ育成研究会リーダー、JMA調達評議会 研究会メンバー、購買ネットワーク会 幹事
講演歴:購買ネットワーク会、ISM Japan年次大会、サプライヤーマネジメント関連の登壇 多数
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