
SERIES 02 / 03
その2|交渉力の差は「交渉前」に生まれている
交渉力を高める方法として、話術や駆け引きだけを鍛えるのは十分ではない。各社の回答を比較すると、成果を分けているのは市場情報、シナリオ、権限、代替案をどこまで事前に準備できるかだった。
━ 交渉を「4つの能力」に分解してみる
2026年の研究会で最優先テーマとして選ばれたのが「交渉」である。ISM Mastery Model™では、交渉を大きく「競争優位性/マーケット・インテリジェンス」「コンディショニングと情報コントロール」「交渉の遂行」「計画と準備」の4領域から捉えている。
この分類は実務的だ。なぜなら、交渉の成否を「当日の話し方」だけで評価せず、市場分析、情報管理、交渉準備、実行という一連のプロセスとして見ることができるからである。
交渉能力 | 見るべきポイント | ベンチマークで見えた論点 |
マーケット・インテリジェンス | 市況、コスト、市場構造を交渉材料に変えられるか | データ共有、Should Cost、市況情報の活用 |
情報コントロール | 機密情報と交渉情報を適切に管理できるか | NDA、アクセス権、機密区分、教育 |
交渉の遂行 | 案件特性に応じた交渉を主導できるか | 権限、役割、上位者・専門家の参画 |
計画と準備 | 目標、代替案、シナリオを事前設計できるか | BATNA、交渉計画書、中長期サプライヤー戦略 |
図3|交渉4能力のベンチマーク(詳細回答4社)
出所:「ISM スキルベンチマーキング アンケート『交渉』」2026年6月22日時点。A~D社として匿名化。
━ 課題1|市場情報が「個人の引き出し」に残っている
複数社の回答を横断すると、市場情報やコスト情報を利用した交渉自体は行われている。一方で、情報の共有方法や分析手法の標準化には差がある。
ある企業では、市場・サプライヤーデータの共有が十分に体系化されず、担当者やOJTに依存することが課題として挙げられた。別の企業では、交渉に使える資料は分析できても、地政学やサプライヤー側の経営事情まで踏み込んだ大局的な分析には改善余地があるとされた。
対して、先行的な取り組みでは、材料費、加工費、検査費などを分解したShould Cost分析を交渉に利用するだけでなく、その分析手法自体を教育体系に組み込み、熟練者から若手へ技能継承している。
ここから見えるのは、マーケット・インテリジェンスの本質は「情報を持っていること」ではないということだ。必要なデータを誰でも取得でき、一定の方法で分析し、交渉戦略に変換できる状態こそが組織能力である。
━ 課題2|「交渉計画」が人によって違う
さらに差が出たのが、交渉前の準備である。大型案件では、シナリオやWBSを含む交渉計画書を作成し、事前に交渉プロセスを設計する企業がある。一方では、担当者間で「この場合はこうする」と口頭でシナリオを共有するものの、共通フォーマットまでは整備されていないケースもあった。
この違いは小さくない。文書化されていなければ、優秀な担当者の頭の中にあるノウハウを次の担当者が再利用することは難しいからだ。
交渉計画では少なくとも、目標条件、最低許容条件、相手の関心事項、自社と相手双方の代替案、社内意思決定者、譲歩できる条件、交渉決裂時の対応などを整理する必要がある。
とりわけ重要なのがBATNA(Best Alternative to a Negotiated Agreement)、つまり交渉が成立しなかった場合の最善の代替案である。代替案を持たない交渉は、「どうしてもこの相手から買わなければならない」という状態になりやすい。
強い交渉とは、相手を言い負かすことではない。「合意できなかったらどうするか」まで準備した上で、複数の選択肢から最も価値の高い合意を選べる状態をつくることだ。
図4|交渉前に差がつく6つの準備要素
出所:交渉アンケートの各社回答(Should Cost、交渉計画書、NDA、BATNA、上位者参画、教育等)をもとに編集部整理。
━ 課題3|若手に「どこまで任せるか」が明文化されていない
人材育成にも共通する論点がある。研究会では「年次別にどこまでの交渉を任せるか」「担当者に任せる範囲は上長判断なのか」といった質問が出た。
これは、多くの調達部門が抱える典型的な悩みである。研修を受けても、実際の交渉を任せなければ能力は伸びない。しかし重要案件を経験の浅い担当者だけに任せることもできない。
必要なのは、年齢ではなく案件の難易度と要求能力に応じた「経験設計」である。たとえば、定型的な価格改定、複数社競争が働く案件、単独供給の重要案件、役員を巻き込む戦略案件では、求められる準備と意思決定レベルが異なる。
EssentialsからExperienced、Leadershipへと能力レベルを定義し、「どのレベルの人材に、どの交渉を任せるか」を組織として決めることができれば、交渉そのものが人材育成の場になる。
━ 課題4|価格交渉から「事業価値の交渉」へ
さらに先行企業の取り組みを見ると、交渉テーマが価格だけに閉じていない。長期契約、グローバル契約、供給リスク、新製品開発、品質、安定供給、将来のパートナー候補といった要素を一体で考えている。
特に供給制約の強い事業では、最安値を引き出すことより、必要な供給能力をどう確保するかの方が重要なケースもある。単一供給のリスクを減らし、中長期的な代替先を準備することも広義の交渉戦略になる。
つまり、成熟した交渉力とは「値切る力」から「選択肢を設計する力」への進化だ。ここまで来ると、交渉はSRMやカテゴリーマネジメントと切り離して考えることができなくなる。
ベンチマーキングからの示唆
交渉力向上の優先課題は「話術研修」だけではない。市場データ、Should Cost、交渉計画書、BATNA、権限設計、案件レビューを共通化することが、組織としての交渉力を底上げする。
しかし、課題が分かっただけでは組織は変わらない。次回最終回(その3)「ベンチマークを「組織改革」へ変える」では、ベンチマーク結果を購買プロセス、DX、人材育成、ガバナンス、ESG、SRMへどう接続し、「診断」で終わらない改革に変えていくかを考える。
編集:NPO日本サプライマネジメント協会(ISM Japan)
調達スキル・ベンチマーキング研究会編集チーム
他にも読まれている記事
研究会・インサイト
調達幹部必見|7社の実務知で解く “強い調達組織”のつくり方 ISM Japan「調達スキル・ベンチマーキング研究会」から見えた共通課題と改革の方向性|全3回(その2)
#調達戦略
#組織改革
リスク・レジリエンス
調達BCPを「計画」から「経営のレジリエンス」へ ――見えないTier Nを捉え、変化に対応できるサプライチェーンをつくる|全3回(その3:最終回)
小山 元
#レジリエンス
#リスクマネジメント
#SCM
組織・人材育成
企業の競争優位は、なぜSupply Managementで決まるのか ― AI時代の大学教育とCPSM®から考える競争戦略 ―(最終回/連載3回)
久原 勇作
#グローバルスタンダード
#AI
#組織改革